【まくのうちコミュニケーション@茅ヶ崎のものづくりの現場から】~サイドストーリー~宮崎哲郎さん(宮崎印刷所)の場合~

宮崎印刷所さんは創業70年、茅ヶ崎で最も古い印刷屋さんです。

創業は自宅の庭から

「スタートは今の工場団地ではなく、茅ヶ崎市南側にある創業者の自宅の庭でした。私の祖父にあたります。庭に工場を作り、その中で活版印刷を行っていました。」

「祖父は佐賀の生まれで、上京し、今の時代で言うと、エンジニアになりました。鉄鋼や特殊工の技術者でした。」

創業は70年前というと戦後数年が経った頃。当時の印刷業はIT企業のような存在。時代の先駆けです。宮崎さんのお祖父さまは、これまでの技術を生かし、印刷業を創業します。

「故郷の佐賀から地元の若い青年を職人として呼び寄せました。そして、自宅の庭に工場を建てて、職人さんは住み込みで働きました。祖母がみんなの食事を準備したり、そういう時代でした。」

高度経済成長の波に乗り、印刷業は発展していきます。

宮崎さん自身も庭に工場があった家で育ちました。

「当時はまだ、活版印刷の時代でした。夜まで印刷の作業が続く日もありました。」

活版印刷は現在のオフセット印刷が主流になる前の印刷方法です。一文字一文字、活字を作り、ハンコで押印していく要領で印刷を行っていきます。

「印刷機がガッチャンガッチャン音を出していたのを今でも覚えています。夜遅くまで工場は動いていて、自分にとっては、子守歌のような感じでした。職人さんに飴玉をもらったり、とても可愛がってもらいました」

その後、現在の茅ヶ崎市円蔵にあります茅ヶ崎機械金属工業団地がスタートするのを機に、工場を移転させ、オフセット印刷を始め、印刷物の制作を全て自社で一括で行うことができる設備を導入、現在に至ります。

転機となったWindows95の出現・そして跡を継ぐ決意

そんな宮崎印刷所さんや印刷業界にとって大きな転機だったのがWindows95の発明。

「Windowsの登場は、印刷業界にとって革命でした。デジタル化です。Windowsを用いて、印刷データを一般の人も作成できるようになったことだけを見て、デジタル化による影響で、紙の印刷物は無くなるという意見や印刷業界が難しくなる、という意見もあったかもしれません。ですが、それは違います。デジタル化により、私たち印刷会社自身は、より品質の高い印刷物を早くに製作できるようになりました。データの制作から印刷製本にいたるまで、コンピュータのデータを用いて、よりスピーディーに効率よく、製作できるようになりました。それは、自社一括での制作が可能な設備を備えていることも影響しています。Windowsの登場により、忙しさの中身が変わりました。様々な希望に応じることができるようになったのです。

 

Windowsの発明により状況が徐々に変化していき始めた頃、人材派遣会社の営業で働いていた宮崎さんが宮崎印刷所に就職します。

「これからは、紙は無くなるという友人も居ました。印刷業界についても色々言う人がいました。でも、自分は、地域に一社は信用のある印刷屋が必要だと思うのです。自分が後を継ぐ覚悟を決め、入社しました。」

工場には、印刷の工程で必要な様々な機械があり、職人さんがいました。

入社後、宮崎さんは営業として会社に関わるようになります。

営業は御用聞き。客先に出向き、お客様の仕事の中で必要な製品を作るために、お客様の声なき声に耳を傾け対応していくことが求められます。

とは言え、時代の変化も踏まえると、新しいことに取り組んで行く必要があるのは確かです。

「新しいことを立ち上げると簡単に言いますが、なかなかできる事ではありません。なので、『今、会社に居る職人の技術』と『今、会社にある設備』で、できることを最大限に生かす方針を取りました。

それは、市場と商品を変えること。デジタル化と自社の設備を最大限に生かして取り掛かりました。

それまでは商業用印刷として主に製造業の会社の社内印刷物を主に製作していたところを、宮崎さんを中心とした会社の努力で、医療や福祉、エネルギーなどのサービス業の会社の中で使われる物を制作するようになりました。

「うちにとっては新規分野への参入にあたります。ですが、うちには自社一括でお客様の要望の全てに応えることができる設備があります。これを生かすには、自分達営業の力がとても大きく関係していると思いました。」

時代は更に進みます。現在は専門性やデザイン性の高い印刷物も、インターネットを経由して、印刷業者と一度も対面で相対をせずに印刷を発注することも可能になりました。

商品での差別化が、ある部分では難しくなっていく現状の中で、宮崎印刷にとってますます大切なのが、営業の力。

「ネット印刷はスゴイと思います。ですが、印刷って、実は、お客さんにとっては面倒なことも多いと思うのです。それは、業者の顔がリアルには見えないからです。」

生身の営業担当がいることは、お客さんにとっては実は大きな意味があります。

連絡をすれば、やりとりを通じて自分達の要望を直接伝えることができる。

分からないことがあれば直接聴くことができ、現物を手に確認ができる。

細かい部分のやりとりも、営業担当者が実際に顔を合わせて確認し合うことで、時間のロスや話しの伝わらないことへの不安もありません。

「うちには、受注から納品まですべて自社一括で行える仕組みが整っています。その最前線に立つのが自分達営業です。職人がお客さんのことを考えて制作した商品を、お客様が仕事上でスムーズに使うことができる状態を作ることまでが、自分達営業の役割だと思っています。言われた場所に納品すれば終わりではありません。客先ごとの状況を踏まえ、直ぐに便利に、そして安心して使い続けることができる状況をつくることも、自分達の仕事です。」

業者のひとりではなく「仲間」と認識される存在へ

時には納期について通常のスケジュールでは収まらない注文をいただくこともあるのだとか。そのような注文を宮崎さんは「ありがたい」と言います。「お客さんは困っている状況です、何としても期限に間に合うように印刷物が必要なのです。そんな時、うちを頼ってくれるのは、私たち宮崎印刷所を信頼してくれている、信用してくれているからだと思っています。なので、職人たちにも『よろこべ』と言っているのです。」

お客様と工場の職人さん達とつなぐ営業の宮崎さんの言葉は、現場の職人さんにもしっかり伝わっています。

職人さんみなさん、本当にとっても笑顔で明るく、イキイキとされている姿が実に印象的でした。お客様の手元にと届く姿をイメージして、日々の仕事に向き合っておられるのがとても伝わってきました。

それは制作を担当するみなさんも

宮崎さんとともに営業を担当する皆さんも、同じこと。とにかく、宮崎印刷所さんで働くみなさんは、イキイキとしているのです。

ある日、客先の責任者の方に、宮崎さんは「うちの準職員だから」と紹介されたそうです。

宮崎印刷所さんが無くてはその会社の仕事は成り立たない、紙でできた備品の納入業者ではなく、一緒に仕事を進めて行くためのパートナーであるということの証です。

宮崎印刷所一体となって、お客様の日々の仕事が滞りなく進んでいくための伴走者となっているのです。

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