【まくのうちコミュニケーション@茅ヶ崎萩園】サイドストーリー~川端立珠さん(ぴあのきょうしつ)~
第二のキャリアとしてのピアノ教師
ピアノ教室を始めて10数年の川端さんですが、先生としてのキャリアは、意外にも、大学卒業後に就職した会社を退職してのスタートでした。
「両親共に音楽が好きな家庭で育ちました。いつも自分の生活にはピアノがありました。ですが、音楽で生活していくのは、ある種の賭けのような部分もあると思って。。。『音楽は趣味で続ければ良いのでは?』と思い、普通の四年生の大学を受験し、大学卒業後は一般企業に就職しました。」
大学では、音楽とは関係のない経営学を専攻、就職はメーカーの営業だったそうです。
「会社は池袋にあり、茅ヶ崎の自宅からは距離がありました。おまけに営業先は北関東地域だったため、自宅に帰ってくるのは遅い時間でした。」
就職しても音楽と共に生活を送っていた川端さん、仕事の影響でピアノを演奏する時間はどんどん減っていきましたが、それに呼応するように、ピアノを弾きたい想いも増していったそうです。「時には営業先から直帰して、自宅に戻り、ピアノを弾くこともありました(笑)。」
そんな折、就職して2年が経った頃、川端さんに転機が訪れます。
「仕事にも慣れてきたので一人暮らしを始めようと思いましたが、そうすると、ピアノを一人暮らし先には持っていけなくなる。それは辛いなと思うようになったのです。」
自分はいずれ結婚したとしても、結婚後も続けられる仕事をしたい。
また、ご実家で事業を営んでいたので、結婚後も実家でピアノ教室を開けば、実家の事業に関わることもできる。
会社員を辞めて、ピアノ教師になることを川端さんは決意します。働きながら通える学校を当初は検討していたそうですが、そこで、音大受験を勧めてくれたのが5年前に亡くなったお父様だったそうです。
「『受験の勉強そのものが、今後のピアノ教師としての仕事に必ず役に立つから、ちゃんと勉強して音大に行きなさい』と、父がアドバイスをしてくれました。学びたい想いには必ずサポートをしてくれる父でした。今の自分があるのは、両親のおかげです。本当に有り難いと思っています。」
生徒の子どものために まずは子どものことを知ること
二年間の短大生活を経て、大手の音楽教室に入社。教室運営の基本や教材について学びましたが、一方で、生徒に対する接し方や向き合い方は学ぶことができなかったそうで、1年で独立開業を決意します。幸いにも3人の生徒さんを迎えてのスタートとなりました。同時に、自宅近くの小学校の学童保育の先生もスタート。
「教室の生徒は子どもです。音楽は創った人も演奏する人も生身の人。それは子どもであっても同じです。その時の気持ちや気分で演奏の音色も変わってくる。ピアノを通して、子どもに音楽を楽しんでもらいたい、音楽の素晴らしさを知ってもらいたいと思ったら、先ずは、子どものことを知ることが必要だと思いました。」
学童保育では、放課後や夏季休暇中の子どもを相手に遊んだり、勉強を教えたり、時には本気で叱ることもあったそうです。学童での経験を通じて、子どもの気持ちに気づくことができるようになったり、対応の仕方や、気持ちの和ませ方、モチベーションの上げ方などを身につけることができるようになります。また、小学校の行事の情報等も事前に知ることができるようになり、レッスンのスケジュール作成等にも役に立ったそうです。
数年前に辞めるまで、学童内で一番のベテランの先生となるほどに、学童の先生は長く続けられたそうです。自分の顧客である子どもに、丁寧に、丁寧に向き合う川端さんの真摯な姿勢を伺い知ることができます。その姿勢が、教室での手作りの教材や、子どもへの様々なアプローチに投影されているのだと感じます。